忍者ブログ
Azul図書室 今まで読んだ本の「自己の記録」であり、誰かの目に留まり手にとって読んで頂けたら、さらに嬉しいとても私的な「ブックコーナー」でもあります。時間つぶしにお立ち寄りください。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

多分、大学の頃に買った本。カバーもなくかなり日に焼けているが、学生の頃は結局読まなかった。人間にはやはり年齢や教養による許容範囲って言うのがあって、この物語は18歳そこらの実経験のほとんどない私には、何がどう面白かったのかわからなかったのだろう。「アメリカン・スクール」というタイトルに、もっと華やかな内容を期待していたからかもしれない。

じゃあ、今なんでこの小説が面白いのかは、そうか、別に教養がついたから、っていうわけではない。いろんな本を読んだり、いろんな映画をみたり、いろんな仕事をしたり、いろんな人にあったり、をやってきたからだろうな、と思う。

だからといって今の18歳の人がこれを面白いと思えない、とも思わない。本との関係はあくまで個人的なものであるから。私は、これくらい時間がかかった、ということ。いや、もう少し前に本棚から発掘されていたら読んでいたかも。きっかけは、村上春樹「若い読者のための短編小説案内」だった。私はこのときもう若くはなかったけど、若いときに手からこぼれていったものをもう一度すくい取ることができた。この本のおかげで、もう小島信夫氏の作品に親しんでいる若い人は多いのかもしれない。もし、今面白くなかったら、十何年後かにもう一度読んでみてください。

<
大阪には、「モノレール文庫」っていうのがあります。大阪北部を東西に走るモノレール。大阪空港(伊丹空港)から、門真南までかな。その各駅には、乗降客が不要な本を寄贈できる、そう、モノレール文庫っていう小さな本棚があるのです。時々掘り出し物があるのですが、今回は「林芙美子全集」。タイトルの「放浪記」をはじめ、前述の「浮雲」も入っているし、初期の頃の詩もあっての、なかなか充実の内容。
さて、その「放浪記」ですが、日記形式で、自伝的要素の強いフィクション。その投げつけるような、素っ気ないような、執念深いような構成と文体は、読むものを翻弄します。元祖ワーキング・プアってやつだし。そのスピード感や、故郷を弄るような切なさは、一度体験する価値はあります。

なお「森光子のでんぐりがえし」は、「放浪記」とは一切無関係。
終戦間近、奄美諸島の孤島「カケロマ島」で、「スーサイドボート」(特攻船)の出撃を待つ日々の体験を描いた「出孤島記」は有名だけど、これはまったく同じ題材をまるで遠い国のおとぎ話のように描いた恋のお話。
「山の端の向こうの青白い月夜の部落には真珠を飲んだ冷たい魚がまな板の上に死んだふりをして横たわっているのだ。」 その魚の傍に寝そべる娘。ほのかなエロチシズムにクッと息をのむ。がけっぷちをつたって秘密の浜辺で逢う二人には、ただただみぞおちがちじこまる。初めて出会う不思議な文体がすごく新鮮だった。


あんまりいい思いすると、後が辛いんです。
かなり昔に、この小説の映画化作品をNHKだったかで見たことがあります。主人公は高峰秀子だったとおもいます。クールでものうげな横顔が印象に残ってます。ただ、こたつでごろごろしながら見たのがいけなかったのか、そもそもそういう映画だったのか、ところどころ睡魔に襲われ、ふと目を覚ますと主人公の男と女がぐだぐだやってるんですね。で、また少し眠って目を覚ましてみても、取り立てて改心してる風でもないんです。物語は戦時中のヴィエトナムから始まります。ダナンの美しい森の中で夢のような恋に落ちた男と女が、敗戦とともに日本に戻り、行き場のない心と体をただただ堕としていく。最期を、雨が永遠に降りつづくかのような屋久島で迎えます。女がみんな死んじゃって男が濡れ雑巾のように生き残るんですね。ああ、こいつはこんな風に80歳まで生きるんだなあ、なんて。不思議に映画はあれだけ眠りながら観たのに、ちゃんとストーリーを覚えてた!林芙美子の文章力と、ストーリーテリングの巧みさのせいかもしれない。こんな小説家がいたんだ、日本に。


プロフィール
HN:
junco
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
Residencial Azul の管理人です。
Amazonバナー

HTML & CSS Designed by ittuan

忍者ブログ │ [PR]